「西太后と息子」の答え 答えは@の「西太后は自分の息子を育てることができなかった」です。
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かわいそうなことに西太后は実の母親でありながら、清王朝の伝統的な制度によって皇帝になる息子の教育について口出しすることは出来ませんでした。皇帝は西太后の息子である以前に、世の中を治める天子であり、天子として立派な皇帝になる教育を受けなければなかったのです。 夫の感豊帝に振り返ってもらえず、かといって子供を育てることも出来ない西太后・・・。そんな彼女が何故か「悪女」呼ばわりされているのです・・・。不思議なことですね。 さてさて、息子の同治帝はその後、帝王教育を受けて育ちましたが、「天子」、つまり最高身分であるために本気で彼を叱ることの出来る人がいませんでした。そして叱られずに育ったため、結果的に立派な皇帝には程遠い「わがままな皇帝」になってしまったのです。彼は十代にして売春宿に通いつめ、宦官と遊びまわり、梅毒を持ちでした。そして遊びまわった末、19歳のとき病気になって死んでしまいました。 息子が死んだとき、西太后は声を荒げて泣いたそうです。 |