「西太后と噂の出所 "東太后の死と皇帝毒殺の噂"」の答え 答えは@の「清の王朝に敵対していたヨーロッパの国のジャーナリストが西太后の悪口を広めたかったため」です。
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当時、清の王朝に対し敵意をもっているグループはたくさんありました。 もともと清は満州族、つまり中国の北方の遊牧騎馬民族の末裔であり、中国の大部分を占める漢民族を支配しました。ラーメンマンの髪型を思い浮かべてほしいのですが、あの髪型(「辮髪」といって満州民族の習慣)を漢民族に強要したのが満州族なのです。漢民族であるかぎり有能であってもなかなか地位の高い職業に就くことが出来なかったり、偉くなっても兵隊を持たせないようになっていて、そうやって漢民族を抑えつけていたので、漢民族の人は清の王朝と西太后に良い感情を持っていませんでした。 またヨーロッパ各国、特にイギリス人たちは1840年のアヘン貿易以来、中国から色んなものを奪い、自分達の都合の良いように支配してやろうと動いていたので、西太后が徹底的に悪い人間であり、彼らの人間観や道徳から外れた極悪人である、と決め付けることは一種のプロパガンダになりました。 しかも、どうやらヨーロッパ各国のジャーナリスト・歴史家たちが面白半分に書いたものが、後に本当にあったかのように伝わってしまったようです。(「ドラゴンレディ」という作品によって、それが全部作り話だということが暴露されました) そして最後に後に日清戦争で敗北することになる日本です。中国がアヘン戦争で破れたという事実を知り、猛烈な危機感を抱いた日本は、明治維新によって西洋に追いつけ追い越せの政策をとってきました。日本は中国を占領できれば、欧米の列強に並ぶことが出来ると考えていたから、弱った中国と敵対しても何の不思議もありませんでしたし、後に本当に占領したりしました。 ところで日本では世界史の教科書に康有為という人物が良く出てきますが、その中で、彼は西洋文化を中国に取り入れようとした"進歩的な"人だと書かれています。しかし実際彼は日本と組んで今の王朝を倒したいと思っていた人物であり、西太后についてのデマを流した張本人なのでした。彼は日本にきて、日本の刺客を使って西太后を暗殺しようと企てたりしました。 歴史の書物は何が正しくて何が間違っているのか、判断が難しいですね。 |