汚く、冷たい自分
僕の内面は意外と汚く、そして冷たい。
何が汚く冷たいかというと、僕は常に自分中心に考えているからだ。
他人のことなど大して興味がない。
だから上田学園の生徒が「遅刻をしようと」「宿題ができてなかろうと」大して気にしない。
ある種、興味がないのだ。
気にするときは、たいてい自分に被害が出るときくらいだろう。
だから回りのことなど意外とどうでもいい。
そう、どうでもいいのだ。
こんなことを書くと、上田先生に怒られそうだが
ずばり自分にかかる厄災以外、興味なしなのだ……
他人がどうなろうと、それはそいつの責任だろうと思っているから。
だから、どんな生きかとをしようと相手に任せる。
僕は、どうするか「きっかけ」をあげるだけだ。
たとえば「卓先生の宿題やった〜」みたいな呼びかけだ。
でも、やれとは一切思わない。
どちらかというと
「やりたければやればいいし、やりたくなければしなくていいんじゃないか」
と思って言っている。
そのため僕の発言には力がない。
選択は全て相手に任せているからだ。
だから他人がどのように行動をしようと、自分に被害がない限り放任主義だ。
日曜日に宿題するから学校にくるように言って来なかったとしても
自分に被害がない限り、すすんで呼んだりもしない。
日曜日だし遊びたければ遊べばって感じで……
でも、宿題ができてなかったら、責任は自分で取ってねって感じで……。
だから結果としてその人が宿題できていなくてもどうとも思わない(先生には悪いと思うが)。
一応やるようには言っているし、それでやらないのはその人の自由であり責任だと思うから。
まぁ、以前そのことで上田先生に
「責任能力のない人間にどう責任とらせるの?」
みたいなことを言われた事もありますが
僕の答えとしては、今この瞬間も責任をとらされているのではないかと思った。
たとえ責任能力がなかったとしても、その付けはいつかくるのではないかと。
だから僕は、常に他人がどうなろうと、自己責任で片付けてしまう。
自分のことでない限りは。
そのため、同居人のナルチェリンにもひどいことをしてしまっていたりもする。
ナルチェリンは、いつも僕が寝たあとに学校から帰ってきたりする。
そのため朝起きれない。
結果として僕が起こすのだが、いつもぎりぎりに起こす。
そのタイミングは
「急いで用意すれば間に合う、でも余計なこと(朝シャンなど)をすれば間に合わない」
というものだ。
そしてたいていナルチェリンは、後者の余計なことをして遅れてくる。
これについては酷いかなとも思っているが、選択枠は残している。
間に合おうとすれば間に合うのだ。
でも間に合わない。
ようするに自己責任の世界だ。
だからナルチェリンが遅刻しても、さほど責任は感じない。
面倒くさいのは、その間、僕が先生に怒られていることくらいだ。
って、「怒られているじゃん」と、被害は受けているが、
でも、それは僕が遅れたことで怒られているわけではないのでさほど気にしない。
だって僕は、急げば間に合うように起こしているのだから。
それに間に合わないナルチェリンが悪いわけだし……と、いう感じで。
だから僕は他人がどうなろうと興味がない。
自分勝手だから。
多分、こんな内面を書いたら嫌われるだろう。
でも他人に興味はもてない。
少なくとも言葉と行動が一致しない人に興味を持つことはない。
言葉だけというのは腹が立つから。
「じゃぁ、お前やれよ」
みたいな感じで。
だから何が言いたいのかわからなくなってきたが
ようは当初に書いたとおり、他人に興味がないということだろう。
そんな汚い人間だが、はたしてみんなは仲良くしてくれるだろうか?
どうなんだろう……