上田学園ホーム   

2000年に行われ大反響を生んだ対談

上田学園長×村上龍(作家) 
JMM 対談 

 

4.何が必要なのか

 

村上 上田さんのように海外に長くいると、言葉や考え方の違いから、コミュニケーションには敏感になりますよね。コミュニケーションというものは、最初から無条件に成立するものではなく、成立させるためにはどれだけ努力が必要であるか、ということが、海外で生活すると否応なく思い知らされます。
そういう観点から、日本の、不登校を含む教育問題を見たときに、コミュニケーションというものは困難なものであるという認識が足りないような気がしますが、どう思いますか。

上田 その通りです。友達とのコミュニケーションをするための材料をつくることもできない子は少なくありません。コミュニケーションのとり方がすごく下手です。ひとりでゲームをしているほうが楽しいんですね。
ですから、先生には、生徒に対して腹が立ったら、そのことをそのままぶつけてください、とお願いしています。親は子供に気を遣って、怒らなくなっているようです。子供も学校で、授業のなかでわからないことがあっても、先生に聞けないんです。それで、親や教師が知らない間に子供が学校の授業についていけなくなっている。
ある親御さんが、自分の子供を上田学園に入れたいので、その子供を迎えに来てください、と言ってきたんです。先生が迎えにこないと学校には行かないと言うんですが、私は迎えには行きませんでした。学校に行きなさいと親が言えないんですね。
電話で話をして、一度授業を見学したら、と言ってみたら、あるとき見学に来て、それで入学することを本人も望んだようでした。

村上 コミュニケーションの基盤にあるのは、僕は信頼関係だと思うんです。

上田 親がそれを教えない。今は個性の時代ということで、親が勘違いしていて、何の判断基準ももたない子供に「自分で決めなさい」とやってしまうんですね。親が壁になって、親の価値観を子供に提示して、そこからの拒絶や納得で初めてコミュニケーションが始まるのに、それをする前に自分で選択させるんです。
これは残酷です。どんな基準も持ち合わせていないのに、自由だけを与えたら何をやっていいのかわからないんです。「うちはこういう理由で、あなたにはそれをさせません」と言われたときに、子供が工夫をして考えるんです。そして親を説得しようとする。そこからコミュニケーションが始まるんです。

村上 もうひとつお聞きしたいのは、何らかの理由で、子供のバイタリティ、生きていくための力と言い換えてもいいですが、それが希薄になっているような気がすることです。引きこもり、パラサイト・シングルの問題には、バイタリティも関係しているのではないかと思います。
バイタリティというのは測定できないので議論することは難しいし、子供はもっとたくましく、などという問題のすり替えに結びつきやすいデメリットもありますが、僕は子供が脆弱になっているような気もするんです。

上田 私はその原因は母親だと思います。昔の親はとにかく忙しかったですから、本当に伝えなければいけないことだけを子供に伝えようとしました。今の親は半分頭の中で考えて、良い母親を演じようとする。子供がやっと歩き出して、転んだときにすぐに助けるならまだいいのですが、倒れる前に布団を敷いてしまうようなお節介があると思います。生きていくための動物的感覚を、母親が奪っているのでしょうか。
母親が子供をペット化しています。ペットの犬が主人との主従関係を逆転して認識し、噛みついてしまうということがありますよね。小さいときにどちらが飼い主で偉いのか、ということを教えておかないと、自分のほうが偉いと思って飼い主をばかにして噛んでしまうそうです。
親というものの絶対性は保たれなくてはいけない。関係性の上下があることを教えないといけないと思います。人生で一番最初の先生が母親で、その母親が中途半端な教育を受けて、民主主義にしなくちゃいけないとか、個性的に育てなくてはいけないという強迫観念をもつことが没個性の子供をつくるのではないかと思います。ペット化して自分で生きる力を奪って、子犬じゃなくなったら「自分の子供じゃないみたい」と言い出すんです。

村上 最近の少年犯罪などではよく母親の問題が取り上げられます。母親が問題だ、という識者と呼ばれる人が言いますよね。ただ僕は母親に愛情がなかったというわけではないんじゃないかと思うんです。

上田 そうなんです。ただそれが間違った表現になっているんです。

村上 だから子供をどう育てるかではなくて、母親がどう生きるかという問題もあるような気がしてしょうがないんです。

上田 親がしていることを、子供はしっかりと見ていると思います。親の教育が本当に必要だと思います。

村上 僕が中学生のときに「期待される人間像」というのがあったんです。でも結局、その人間像を目指した人が幸せになっているわけではない。子供は本来、何かに興味を示して、それが自分の好きなことだったら、自ら勉強する力があると思うんです。上田学園のカリキュラムを見て感じるのは、その力をつけさせようということですよね。

上田 そうです。

村上 それで、2年目に子供が変わるというのは、そういった本能にスイッチが入るということですよね。今までの教育のなかではきっと、その本能はずっとスポイルされてきたわけですね。

上田 まったくその通りです。

村上 JMMの教育をめぐる座談会のテーマを「教育における経済合理性」としたのですが(Vol.8収載)、大前提的に子供に勉強を強制するやり方はもう機能しないのではないかと思っています。
子供のときに何かに打ち込めることを見つけたり、学習や訓練によって知識や技術を身につけた人が、人生を有利に、また自由に生きられる、という当たり前の経済合理性をどうやったら子供に伝えるのか、というのが重要だと思ったんです。

上田 ここでも実際には生徒に、それが人生を有利に生きるために有効だという認識はないかもしれません。ただ教師は生徒の人生の1分、あるいは1秒しかかかわれないけれども、その短い時間が彼らの人生の基礎をつくるから、本気であたらないといけないと思っています。
私たちがやってはいけないのは、理屈抜きで「1+1=2だ!」ということを押しつけることなんです。生徒には道具の使い方を教えてやらないと、突然、不安感やむなしさに襲われるんです。本当は学校は要らなくて、昔の徒弟制度だけでいいんじゃないかと思ってしまいます。

村上 既存のシステムを変えるためには大きなコストが必要ですよね。

上田 一番コストがかかるのは教師でしょうね。ここにも教師になりたいという問い合わせが非常に多いのですが、私はいつも、先生になりたいなら普通の企業に入りなさいと言っています。会社の中で嫌な思いも、頭を下げたりということも経験してから先生になってほしいと言っています。
それじゃないと、本当の社会を教えられない。今の先生は先生ばかになって、隔離されて純粋培養されているんです。

村上 でも、先生すべてを取り替えるということは難しいですよね。だから、上田さんのような方がマニュアルを作成するというようなことも必要ではないでしょうか。

上田 アメリカにいたときに、交通違反で捕まったんです。それで、罰金を払うか、再トレーニングを受けるか選びなさい、と言われて、興味があったので再トレーニングを選びました。それでトレーニングのリストを見たら“Single Driving School”というのがあって、これは何なのかと友達に聞いたら、シングルの人が出会う会も兼ねている、と(笑)。
ほかには“Cooking D.S.”というのがあって、作ったものを食べながら授業を受ける。最後にあったのは“Comedy D.S.”で、コメディアンが授業をしてくれるんです。結局それを選択しましたが、これが本当に楽しかったんです。もう最後は生徒がスタンディングオベーションで(笑)。日本でこういう教育をしたいな、と思いました。

村上 日本だと、そのドライビングスクールが良いとなると、どの学校もコメディアンを先生にしてしまうんですよね。本当はいろいろな選択肢があるからこそ豊かだと思うのですが。

上田 そうですね。私がこの学校をつくったときも、学年分けをするつもりがまったくありませんでした。どうしてかというと、世の中は13歳だけで構成されているわけでもないのに、どうして13歳で固めてしまわなければならないのかと疑問に思っていたからです。だから、私はここはずっとバリアフリーでやっていきたいと思います。先生についても同じで、年齢とか学歴とかは全く関係ないと考えています。

 

 

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