私は他人の言う悪いこと(マイナスと思うこと)にはとても敏感だ。とにかく悪いことは聞き漏らすまいと無意識にやっている。
最近、私の性格について上田先生から指摘を受けた。その引き金となったのは、この前私が書いた「べき乗」という文章である。
上田先生曰く、「私は無意識に言葉にするもの、しないものという壁を作っていて、そこで自分の言葉をブロックしている。」ということだった。私はどうやら、他人の言葉を良い言葉、悪い言葉にわけているようだ。中でも、悪いことをよく覚えてしまっている。自分でも壁を作っているのが意識できる時は、ほとんど悪いことしか考えられなくなる。そうなると、暗くなり、リラックスできなくなり、硬くなる。人と会いたくなくなるし、生きているのもつらくなる。
上田先生と先週金曜日に話した時に、「まずは頭に浮かんだこと、感じたことを口に出す」ことでまとまった。「考えるな、感じろ」である。
先週土曜日、リサーチの発表後には、野原先生からも指摘を受けた。
野原先生曰く、「ハッチは興味が続かない。毎週発表をしていくと、どこかで発表の内容がぶつ切りになって、流れがなくなる。もし興味がなくなったら、次回のリサーチの方向性をどうするか聞かないと」ということだった。
野原先生に言われるまで、本人はそのことに気づいていなかった。とにかくやらないとという意識しかなかった。こうやって文章を書いている内に、ようやく興味がなくなってきていたことを思い出したくらいだ。私が非常に飽きっぽいことも、今回ようやく気がついた。
上田先生からは「あまりにも間が読めない」と言われた。野原先生からは「興味がないことがわかっちゃうと、じゃあこれいらないねってなっちゃうよ。せっかく時間使っているのに、それはもったいないじゃん」と言われた。
ひきこもってから上田学園に入るまで、おそらく五年くらい、私は普段コミュニケーションをしない日々を送ってきた。いや、それは高校からすでに始まっていたので、十年弱くらいだろうか。とすると、そのコミュニケーションをしなかった期間は、自分が思い出せる人生のほぼすべてである。
間が読めないのは、小学校からすでにそうだった気がする。自分から進んで何かを選ぶということもあまりしていない。社会に出てからも、コミュニケーションは私にとっての勉強課題であり続ける。
一人でいるとこもりがちな私は、人と接することなく頭を使うだけの仕事は良くないかもしれない。ほっとくと、コミュニケーションをとらない人間になってしまうから。