西太后の悪徳 クイズ(クイズは文章の下にあります)

 

死と隣り合わせの麻雀

 

 西太后は大の麻雀好きでした。毎日のように大臣などを相手に、麻雀をしていました。ですがそこには普通の麻雀とは違って、ある暗黙のルールが存在していました。それは何人たりとも西太后に勝ってはいけないというルールでした。


清朝時代に使用された麻雀台。
麻雀の普及と西太后の時代は丁度重なっています。

 しかも西太后は大臣達がワザと負けることさえも許しませんでした。大臣達がワザと負けないように西太后は一人ずつに見張りを付けていました。

 つまり、自分が一番じゃないと気がすまないけれど、でもそれは自分の実力じゃないと駄目だという、なんともわがままな望みなのでした。

 いっしょに麻雀をする大臣達は西太后に勝ってもらうために、さぞかし涙ぐましい努力をしたことでしょう。

ここで問題です。もしも麻雀で西太后に勝ってしまったら、どうなったでしょうか?

@打ち首になった

A監獄に入れられた

答えはこちら

 

 

西太后と宮廷 "宦官のつくりかた"

 


 みなさんは"宦官"(かんがん)とは何かご存知でしょうか?

 宦官とは男性のいちもつを切り取られた宮廷の召使たちのことです。
たとえば彼らの仕事を見てみると・・・
・ 詔書の伝達
・ 朝見にくる重臣らの案内
・ 納められた金銭や穀物の受け取り
・ 火の元の見回り
・ ネズミ捕り
・ 蔵書の保管
・ 乗馬服のプレス
・ 宮廷女に使えたり、逆に懲らしめたりする
・ 京劇の上演
・ 妃の身の回りの世話
・ 門番
・ 果物のハエを追い払う

など非常にたくさん種類があったようです。とにかく蟻のようにうじゃうじゃいるという感じがしますね。

 この宦官と言う職業、実は紀元前1000年以上前に既に存在していて、中国ではかなり伝統ある人たちなのであります。清の前の王朝「明」の時代には、敵国の捕虜を片っ端から去勢し、そのなかで才能があったり、運が良かったものが宦官として生き残ったのだそうですが、この西太后の時代では、自分から進んで宦官になったものがほとんどでした。

 しかし一体何故、自ら進んで自分のあれを切り取り、召使などをやるのでしょうか?

 彼らは宦官になることによって身分の高い主人のもとに近づき、その主人を人形のように操ることで富を得て、自分も高い身分になろうという野望をもっていたのです。そして現実として宦官が権力を握り国を滅ぼすことが何度もあったくらいなのでした。

 たとえば、明の時代に世界で一番先に世界一周の航海をしたといわれる鄭和などは物凄い権力を持っていたといわれています。一方で、「紙」を発明した蔡倫や「史記」を書いた司馬遷のように後に残る偉業を成し遂げた宦官たちもいました。

 ここで問題です。西太后の時期にも宦官は大勢いました。宮廷6000人のうち半分くらいが宦官の召使だったそうです。さて西太后はその3000人もの宦官のうち、一部の宦官だけに秘密のあることをさせました。それは一体なんだったのでしょう?


@ 一部の宦官達は実は去勢されておらず、西太后の性欲を満たすための人形だった

A 寸劇が大好きだった西太后は、巷の名役者を無理やり宦官にし、毎日自分だけの劇を見て楽しんだ

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西太后と光緒帝の妻・珍妃

 

 東太后と西太后はそれぞれ光緒帝の妻を選びました。皇帝は自分で妻を選ぶのではなく、東太后の選んだ妻と西太后の選んだ妻を自分の妻にしなければならなかったのです。


光緒の妻・珍妃

しかし光緒帝は東太后の選んだ妻だけを溺愛したので、西太后はひどく不機嫌になりました。

さてここで問題です。そこで、西太后はある行動にでました。それは一体なんでしょう?

@ 西太后は光緒帝の溺愛した珍妃を井戸に突き落とした

A 西太后はストレスを解消するために、一日に何匹もの動物を虐待して楽しんだ

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