上田早苗×村上龍
対談「子育てと自立」
3.
上田 そのときに子供達を導いていくために大人達がやらなければならないことは、まず自分の生活を、ということでしょうか。
村上 まず、自分のことを考えることでしょう。これは一般的な話ですけれど、自分のことを考えなさいということですよね。だから引きこもりを題材にした『最後の家族』のなかでも、カウンセラーだとか親の会に通うとかしたりして、お母さんが自分が楽になって行くわけですよね。そうやってお母さんが楽になっていくと、子供も楽になっていくんですよ。だから結局子供をどうしようかじゃなくて、まず自分が活き活きとして生きることが、生きるモチベーションを持つことが大事なんじゃないかなと思うわけです。もちろん非常にケアする側面は必要だし、ほったらかしとかそういうのとは意味合いが全然違うんですけどね。
上田 お互いに依存して生きるんじゃなくて、自立すること、そのことが結果的に親しい人を救うのだというメッセージはすごく重要ですね。カウンセラーの方の話を聞くと親が自分の生き方を持つ、自分のモチベーションをきちんと持つ、それを見て子供たちがお母さん、ちゃんと自分をやっている、生きているってことで俺もやらなきゃと思ってくれるのは事実だと思います。だけれど父親が子供の教育に携わらないだとか、家庭を顧みないからということも原因のひとつのようによく言われますがそれはどう思われますか。
村上 それはケースバイケースじゃないでしょうか。一概に毎週一回河原でバーベキューすればいいってもんじゃないですから。父親の生き方を子供は見ているから、それは残酷に伝わるんですよ。お父さんだから何をすればいいとか、これがこうだからこうというのはないと思いますよ。逆に言うとどういうふうに育ててもいいと思うんですが、その人の生き方を子供は見てるってことですよね。もちろん赤ちゃんの時に放っておいたりするのは駄目ですよ。3歳児を車においてパチンコ行っちゃったりだとか、それは論外でこれはそういうことじゃないですけど。
上田 村上さんが少年時代、反抗なさった時にお父さんお母さんはどんなふうにおっしゃっていましたか。
村上 まあ、本格的な反抗がはじまったのは中学生の時ですけど、怒られました。親父からも怒られたし。ただ高校のときバリケード封鎖みたいのをやって無期謹慎になったときに、その頃は高三だからもうほとんど親父と口効かないという感じだったんだけれど、うちのじいさんが反抗してくれて、俺も海軍の時は4回くらい上官を突き落として、営巣に入ったと言っていました。実はおまえの親父もPTA会長殴っただとか、大問題になったことがあるんだ。だからこれはもう家系だから、偉そうな奴に歯向かったり、反抗するのは家系だから仕方ない。そんなふうにおじいちゃんが言ってくれて、「なんだ」と思って少し楽になりましたね。まあ謹慎になったのは怒られましたけど、集団とうまくやっていくのが苦手だというのは知っていたんで、小学校のときから諦めていましたけど。もうサラリーマンにはなれないってのは決めていました。最初からサラリーマンという選択肢を捨てていたんで、結果的には良かったんだと思います。だけどそんなの昔だったら10万人にひとりぐらいかもしれません。
上田 でも、ご自分がそういう時期を通り越して来られて、ある時期から教育に題材をとったものを書かれるきっかけはどうしてでしょうか。やはりどこかおかしいと思ったからでしょうか。
村上 おかしいといいますか、大きく言うと今、構造改革と言われていますけど、日本が駄目になったわけじゃなく、もう終わってしまった高度成長と同じやり方をしてるから、外の世界は大変化しているのに、その変化に対応できなくなっていたり、既に非効率なシステムになっていたりします。そこで子供が混乱して、いろんな症状を出すわけですよね。学校に行かなくなったり、あるいはストレスで拒食症になったりね。それは当たり前なことなのに、みんな大騒ぎするわけですよ。どうしちゃったの、と。
今、求められているのはどういう子供なんでしょうか。親の言うこと聞いて、先生の言うこと聞いて、それで悪いことせずにコツコツ学ぶのがいい生徒でしょうか。そういう人はみんなオウムに行ったんですよ、どうしようもなくて。まじめな子ですよ。今こういう変化の時代にうまく適応して活躍している個人はみんな社会や学校とうまく折り合わなかったんです。だから、そういった意味で大きく捉えると、子供達は今反抗してるわけですよ。反逆してるわけですよ。そこに日本が抱える問題がこう反映されているわけだから、それは作家としては書かなきゃいけない。語弊があるけどおもしろいですからね。
上田 今までなかったですものね。
村上 それは現代特有の社会的な問題なので、作家が描くのは当たり前だと思いますよ。むしろ僕には新撰組だとか書く方がわからないですけどね。それはそれでエンターテインメントだからいいですけど。
上田 私も、もしかしたら親が悪いんじゃないか、学校の先生が悪いんじゃないか、学校のシステムが悪いんじゃないかといろいろ考えてみたんですが、言われてみると確かに昔も問題のある先生も親もいっぱいいました。今は親が自分の生き様ってのをまず見せていないのでしょうか。
村上 いや、見せてるんです。見せてるんですけど、とにかく何の助けにもならない、ということでしょう。
上田 どちらかというと、おろおろしているんじゃないでしょうか。テレビなどでも芸能人が自分の子供を公園デビューさせるなどといって特集していますが、あれはおかしいと思います。そこからもういじめの問題が始まっていると思うのに。どうしておかしいかと言うと、単に子供が遊びに行くところのはずの公園に、デビューするためにお母さんがきれいなかっこうをしていかないといけない。さらに勢力のあるお母さんの顔色を窺って話を合わせ、子供がいたずらすると「ママのためにいい子にしていてね」とお願いする。こうやって母親が子供に、人の顔色を見て生きることを無意識に教えてしまっている。
本を読ませていただいて、村上さんの思考回路って外国人みたいだなあっていうのを時々感じていたんです。日本的習慣では、「何をするのも誰かのため」という言い方をしますけれど、そこがおかしい。あらゆることは自分のためにするのじゃないのか、と思うんです。そういう言い方では、外国人がたくさん入ってくる中で変わっていかないと理解されにくいと思うんです。
まして子供達には昔と違って外来語が自国語みたいに入ってきていて、逆に自国語が外国語のように通じなくなったりしている不思議な現象があります。同じ単語でも世代間でコミュニケーションが取れないほど違う意味合いに理解していたりします。それが原因で、コミュニケーションが取れていないってことがあったり。そういう親と子供の表現の仕方がずれてきているっていうのをすごく感じていて、おかしいなおかしいなって。それをマスコミが気が付かないで、取りあげないのもおかしいんじゃないでしょうか。
村上 それはマスコミは気付かないですよ。マスコミには期待しちゃだめですよ。一番遅れていますから。
上田 そうなんでしょうか。本当は一番敏感なはずなのに。
村上 マスコミでも良心的なところはありますけど、マスコミと教育っていうのは「日本語の壁」に守られてるから、一番変化に対して鈍いんです。だからそれはしょうがないです。あと、公園デビューするお母さんも他にどうしていいか分からないわけだから、公園デビューに関して自由なお母さんだっているわけだから、それはしょうがないですね。というよりマスコミはもう駄目ですよ。だから出来るのはああいうワイドショーとかを見ない人間をいかに増やすかぐらいですよね。
上田 ということは自分の判断基準をきちんと持てるようにしておかないといけないってことですよね。
村上 そうなんですが、それは持てないですよ。何かがないと。お母さんが自分の判断基準を持てるような自分との対象があればいいんですけどね。
<前へ 次へ>
「骨太の子育て」へ>