H16.02.03

この前、上田先生が僕のことを「小さい頃から勉強が出来て、だから勉強が出来ない人の気持ちが判らなくて可哀想」と言ってたけれど、僕は何故か「小さい頃から勉強が出来た」と誤解されることが多い。

確かに中学時代は成績は校内でトップの方だったけれど、小学校の頃、特に下学年のころは勉強はあまり出来なかった。掛け算九九を覚えたのもクラスの中で遅いほうだったし、先生の言うことがよくわからないことが多かったし、ノートをとるという習慣が全くなかった。

それがどういうわけか、小学校高学年から、中学校にかけて「小高君は勉強の出来る子」になってしまったのには、今でも自分で時々不思議に思う。私が考えるに、たぶん親が私を塾にやらなかったことと、私が目上の人に非常に従順な性格だったことがその理由だと思う。

塾に関して言えば、親は「無理に勉強させても出来るようにはならないだろう」と思っていたらしく、僕を塾にやらなかった。ただ勉強時間として、「みんな小学1年生のときは10分、2年生のときは20分、1歳ごとに10分ずつ多く勉強するんだよ」といって、その時間だけ強制的に勉強させた。1年生のときこのプランを聞いて、60分も勉強する6年生というのは超人だなと思ったけれど、自分が6年生になった頃は2時間ぐらい自主学習していた。

友達の話を聞くと、塾通いで大変だという話をよく聞いた。塾に行くと勉強するように竹刀で脅されるという話も聞いた。それで勉強が嫌いになることはあっても、好きになることは天地がひっくり返ってもありえないと思うが、とにかくみんな苦労していたのだ。クラスで僕以外のほぼ全員が塾に通っていたので、僕は他の家に生まれなくて良かったと何度もありがたく思ったものだった。

こういう僕の家庭環境は、少なくとも僕を致命的な勉強嫌いになることから救ったのだと思う。

もう一つ、僕が成績が良かった理由は、僕の欠点でもある従順すぎる性格だろう。要するに僕はやれと言われたからやったのである。これは小学校下学年の頃はまだ自覚がなかった。3年生の頃から「小高君はいい子だ」と時々言われるようになって薄々自覚し始めた。どうやら自分は他の子供より先生の言うことを聞いていたらしかった。

おそらくこの性格のせいで、宿題などもきちんとやっていたろうから、自分が小学校高学年から成績がよくなり始めた理由の一つではないかと自分では思っている。

というわけで、私はもともと勉強が出来るわけではなかったし、成績がよくなったのも色々偶然が重なったわけだが、いずれにせよ元々頭のいいほうではない。それを実感することは小学校の時からたびたびあったし、今でも多い。多分もの凄い馬鹿でもないが、頭がいいと言うほどでもなく、まあ標準的なのではないかな。

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とはいえ僕も勉強はあまり好きではないのだ。勉強なんてしないで済んだらと願ってやまないわけだが、そんな勉強でもくやしいことに、やらないと駄目そう、やると役に立ちそうで、なんとかやる方向で自分をもっていこうとしている。でも好きではない。

たとえば歴史なんて最悪だ。歴史が面白くてしかたないという人がいる! 確かに国の歴史に神秘性やロマンや、自分のルーツがどうしたこうしたとか、感じなくもない。だけど僕はむしろコンピュータに神秘性やロマンを感じ、こいつのルーツはどこにあるんだろう、人間がこれを発明したのはどんな運命に因っているのだろう、などという風に考えるほうが楽しい。(はいはい、政治に無関心な駄目な若者だと言うのは、よぉーく分かってますよ)

数学は比較的面白いが、理解するのに恐ろしく時間がかかるので、あまり自分に向いていない気がする。ただ数学にはどこか神秘的な魅力を感じる。単純計算を素早くこなすのが頭に良いというのも、多分その通りだと思う。

国語もあまり面白い科目ではないが、まあ為になりそうな感じがするので、なんとか頑張ってしまうことが多い。それに文の意味をを正確に読み取るのは意外に難しいことが多い。

化学、物理、生物も自分にとっては数学に近い。神秘的で面白いが難しすぎて、自分の専門には多分向かない。

体育。常に成績は最悪であり続けた体育。投げたボールはまっすぐ飛ばず、バットにボールがかすることはなく、蹴ったボールが的に当たることはなく、走れば遅く・・・ まあ体を動かすのが嫌いではないんで、個人的に水泳したりするのは結構好きです。

倫理は結構面白かった気がするがほとんど覚えてない。もっとも高校でちょっとやっただけだけど。アリストテレスから孔子にデカルト、仏陀にアインシュタイン、夏目漱石、etc... あぁー、でも、もうほとんど忘れたな。

とにかくあまり勉強は好きではないのだ。

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ちょっと違ったのが英語かな。多分現在一番得意な教科なんだけれど、実は始める前は絶対に英語なんて無理だと思っていた。

小学生のとき何かの箱に "night" と書いてあるのを見て「何て書いてあるの?」と母親に聞くと「ナイト」と答えた。僕は学校でローマ字を習っていたので、この答えに大変驚いた。 "i" としか書いてないのにどうやって "a" があると分かるのか? "gh" を読まないのはどうやって知るのか? なぜ母親がそれを読めるのかと聞いたら「なんだか読めるようになったねえ」という返事で、二重にビックリした。大人というのは大変な能力を持っているのだなと、畏敬の念を感じると同時に自分の将来に不安を感じた。(冗談ではなくマジですよ) 自分に "night" を "nait" と読みこなす能力が身につくとは到底思えなかったからだ。中学校で英語を勉強しなければいけないことを思うととても不安に感じた。

ところが中学に上がり、英語の最初の授業で一番最初の瞬間、先生の言う "hello" を聞き、自分の口で繰り返したとき、何かが違うと感じた。 "apple" や "orange" を練習し始めたら、もうはっきりと分かった。これは楽しい! 先生が発音してそれを繰り返していただけだったのに何故あんなに気持ちが高ぶり楽しかったのか・・・とても不思議だ。

あれから随分時間が経ったこの頃、あのときの気分をもう一度味わいたいと時々思うのだが、なんとなく無理な気がする。上田学園で何ヶ国語かを初めて勉強したがあのときのような感動は味わえなかった。英語での体験で、新しい言語に触れる恐怖感がほとんど無くなってしまったからだろうか? いずれにせよ、そんなわけで英語は私にとってちょっと特別な教科になってしまったのだ。

ただ、英語が得意という感覚はあまりない。そういう中途半端な自信は高校で完全に解体した。とにかく高校の英文読解はやたら難しかった。まず量が多く、次に構文が複雑で、さらに文の内容が大人向けで、日本語で読んでも難しいものだった。それでもへこたれず英語だけは食らい付いてやったのは、やはり中学の最初の感動の勢いがあったのだと思う。

じゃあ今、英語がすごく好きかと言うと、う〜ん、どうだろう。割と好きなほう。まあ、必要なら使おう、という位かな。実用性を考えてやるのがほとんど。でも過去の蓄積があるから、辞書を引いたりするのが楽なのはいい感じ。

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だから私にとって勉強は、基本的には好きではないけど、中には得意なのもあり、だからといってそれがすごくできるという訳でもない、という程度。まあ普通なのではないかな。

過去に作ったもの

H16.10.26 取材
H16.01.05 将来の夢?
H16.01.02 新年の御挨拶
H15年に作ったもの

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