2007年9月27日(木)

 

小津安二郎作品を観る

 

またご無沙汰してしまいました。

先週を振り返ると、井の頭でのゾウのはな子のイベントがあったり、3日間だけ一人で小旅行してきたりといろいろあったのですが、その反動か、今週はあんまり動いてませんでした。

とまあ、それらもあったんですが、敬老の日の前の土日に、お台場で小津安二郎監督の映画を見る機会があったので、忘れないうちに今日はそのことを書きたいと思います。

たまたまチラシでそのイベントを知ったのですが、タダだし、こんなことでもないとなかなか見る機会はないだろうと思ったので(それまで小津安二郎作品を見たことがなかった)見に行ってみました。

その2日間で見たのは、「晩春」と「秋刀魚の味」でした。「晩春」は昭和24年、戦後すぐの時期でモノクロの作品、「秋刀魚の味」は昭和35年のでカラー作品で、小津監督の遺作となりました。

2つの作品とも話しの大まかな筋は変わりません。娘が嫁ぐということとそれにあたる父親の心境が主題です。娘役は「晩春」が原節子さん、「秋刀魚の味」は岩下志麻さんと違いましたが、父親役はどちらも笠智衆さんでした。ともに母親がいないことも共通点でした。

とはいえ、もちろん違うところもあります。「晩春」は、鎌倉での父と娘の2人暮らしでしたが、「秋刀魚の味」の主人公は息子が2人、娘が1人いて、長男は結婚し家を出ている設定でした。「晩春」はあまり登場人物が出てこず、父娘や親戚との話が中心なのに対し、「秋刀魚の味」は父の同級生や昔の先生との交流があったり、長男夫婦のたわいもない話(ゴルフクラブを買いたい夫と渋る妻)があったりしていました。

小津安二郎監督の作品というと、映像の美しさ、話が淡々と進む、静謐な感じ、という印象がありました。実際に見てみて、小津作品に特徴的な、家の中での犬や猫の目線のようなローアングルショットや、さりげないものを定点で捉えるカメラが映し出す映像の質の良さとか、淡々とした演技はそのとおりでしたが、どちらの映画も静かな感じではなく、それは思い違いだったんだなという印象でした。特に「秋刀魚の味」はところどころユーモアが入っていて(先述の長男夫婦の会話とか)結構見てて笑いました。普通に見てて面白いんだ、というのは意外でしたね。

また、ゾウのはな子を調べたこともあり、その頃の風俗にも目は向きました。どちらの作品の登場人物も、そんなにお金に困っていない、中流から上の階級の家族でしたが、汽車やデパートや飲み屋などに、当時の面影を見ることができました。例えば、まだその頃はお酒といえば日本酒だったところとかですね。

そういえば、夏に授業で映画内の広告について調べていましたが、「晩春」の中に映画内広告になり得る映像があったのを思い出しました。自転車で散歩してるところに唐突にコカ・コーラの看板が出てきましたし(占領下の西洋化の象徴として出したのでしょうか)話の重要な鍵となる京都の旅行では、清水寺の舞台とか龍安寺の石庭が出てきました。これは私にとっても、その後小旅行で京都に行ったことに影響を与えましたね。別にお金はもらわなかったでしょうが、やっぱり昔から広告になりそうなものはあったんだなと思いました。

小津安二郎監督の名前は有名なので、一度どこかで見ないとなと思っていたのですが、この機会で見ることができました。普段パソコンでDVDで見てるのと、大画面で映画を見るのは違うものなので、行ってみて良かったですね。古き良き日本の名匠の作品に、感じ入るものがあった2日間でした。

9月14日 「映画監督とオタク」
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