西太后の思い クイズ(クイズは文章の下にあります)

 

西太后と息子

 


 有名な一族の家庭で仲間はずれの孤独の生活環境の中で育った西太后は、その不幸から逃げるようにして宮廷に行き、感豊帝の息子を偶然産み、そして偶然"皇太后"という身分を手に入れることになりました。

皇帝の子供、それも男の子を産むというのは、中国の女性としては最大級に素晴らしいことでありました。日本でも皇室において、天皇の子供、特に男の子を産まないといけないというプレッシャーが天皇の奥さんに重くかかっていますよね。中国では皇帝の息子を産んだ女性は最高の待遇で扱われたのでした。

もともとそんなに高い身分でなかった西太后は、こうして中国でもっとも憧れを持たれる女性となったのです。家族から逃れた西太后は「幸福」を手に入れたのでしょうか・・・・。

さてここで問題です。
西太后は女性として最高の身分となり、宮廷の多くのことが彼女の意志によって左右されるほどでした。しかし、そんな彼女でもどうしょうもない、悲しいことがありました。それは一体なんでしょう?

@ 西太后は自分の息子を育てることができなかった

A 自分の息子が美しい女性と結婚し、自分の方を向いてくれなくなったため、その女性に嫉妬した

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西太后の名前

 


突然ですが、西太后はなんで"西太后"というのでしょうか?

西太后の「太后」は身分のこと、つまり「皇太后」のことです。では西太后の「西」というのは、彼女の名前なのでしょうか?いいえ、それは違います。

当時、最高の身分の側室の部屋は皇帝の寝室をはさんで東と西にありました。その最高身分の側室でも一番上の側室は東の部屋に住み、その次の身分の側室は西の部屋に住みました。西太后と呼ばれたのは、実は彼女が西の部屋に住む皇太后だったからです。

意外に知られていない事実なのですが、西太后の上に"東太后"という最高の中でも更に最高の身分の人物がいました。西太后は余りに強大な悪女であったというイメージのおかげで、彼女にかなうものなどないかのように見えますが、それは大きな間違いなのです。

東太后には子供はいませんでしたが、先に結婚していたため一番上の身分となりました。政治的に言えば、西太后の「ライバル」ともいえる存在です。

 さてここで問題。
東太后は西太后よりも、あらゆる面で優遇されました。行列などのイベントごとのとき、お礼を述べられるとき、あいさつをされるとき、とにかく色んな状況で「まず東太后から」というくらいで、彼女は実質的に宮廷を仕切っていたといいます。そうした関係だった東太后と西太后は、彼女らの夫が死んだとき、ある行動にでました。それは以下のうちどちらでしょう?

@ 西太后は次に皇帝になる自分の息子に東太后を排除してもらった

A 東太后と西太后は仲良く手を組み、両方の助け合いによって政治の不安定を乗り切った

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西太后の甥 "光緒帝"

 

 

 西太后の息子・同治帝は19歳の若さで死んでしまいました。皇帝は後継ぎを宣言することなく死に、後継者は西太后の甥に決定しました。同治帝はあまりに甘やかされて育ったので、中国を治めるだけの力をもった皇帝になることが出来ませんでした。だから今度の皇帝の場合はもっと厳しく育て上げようしました。

 たとえば、光緒帝がご飯をおなかいっぱい食べて満足していると宦官がきて、「すこし胃を落ち着かせましょう」といって、皇帝のくるぶしを掴み、逆さにつるして、頭を床にぶつけてはかせたという。

 光緒帝は西太后の妹の息子でしたが、西太后の妹は異常に「意地悪」な性格で自分の息子をいじめまくったのでした。光緒帝が勉強を嫌がると、西太后の妹は宦官達に太鼓や銅鑼をドンドンガラガラと打ち鳴らさせて、叱りつけ、狭いトイレに長時間放置しました。

 その結果、光緒帝は精神異常気味の子供になりました。ひどく神経質で小さい頃から緊張するとおならをだしてしまうという癖がありました。その上、彼の教育係は光緒帝に対して東太后・西太后に絶対服従をしなさいという命令を繰り返し繰り返し聞かせていたせいか、彼が西太后の前に出るといきなり射精してしまうのでした。

 そうして大きくなった光緒帝は、自分がこうなったのは宦官のせいだと思い込み、宦官を痛めつけることばかり考えていたといいます。

 さてここで問題です。光緒帝はこうしてひどい環境で育っていったのですが、他にも候補がいたにもかかわらず、積極的に光緒帝を皇帝にしようとしました。一体それはなぜでしょう?

@ 西太后は昔家庭で仲間はずれにされていたにも関わらず、妹の顔を立てようと思ったため


A 西太后の妹の虐待がひどすぎたため、西太后がそれを救おうとしたため

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西太后と写真

 

 

 いきなり問題です。 西太后ははじめて自分の写真を撮ったとき、ある行動にでました。さてその行動とは一体なんでしょう?


@ 西太后は写真に撮られるのを喜び、服を何着も着替えて撮った


A 西太后は写真に撮られるのが余り好きではなかったので、必要な分だけ撮ると撮影場所からさっさと出て行ってしまった

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西太后に出来なかったこと

 

 

 西太后と聞くといかにも妖怪じみた人みたいに聞こえますが、そんな西太后は決して万能人ではありませんでした。踊りや歌が上手かったというし、劇が大好きで、宦官も混ぜて劇を演じたりしましたが、一生懸命努力しても人並みになるかどうかでした。

さて問題です。西太后には昔から出来ないことがありました。それは以下のうちどちらでしょうか?

@ 纏足だったので、籠無しで宮廷を歩くことが出来なかった


A 文字が満足に読めなかった

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